3ではなく、なぜ3.14なのか。

柳谷晃先生の「そうだったのか!「算数」」(毎日新聞社)を読む。

以下の部分を読みハッとした。

『最初にπは3と教えることを考えている人の発想には、小数の計算が、πの理解に邪魔になると思っている節があります。3.14と近似することが計算を難しくするというのでしょうが、これは本末転倒という感じがします。円のような美しい姿をしていても、その構造を調べるのは難しいという事実を、理解することのほうが大切なはずです。そのような理解があってこそ、自然を解析するときに、なめてかかるとひどい目にあうぞ、という認識に繋がるからです。』

自然を解析するときに、なめてかかるとひどい目にあう。

今の日本人は、誰しもがこの一言の意味を実感していることだろう。





テーマ : 算数・数学の学習
ジャンル : 学校・教育

「イ・サン」・「ダメージ」(外国の長尺テレビドラマ)

NHKが韓国とアメリカの長尺ドラマを放送してくれた。
どちらも理想を追うことと権力欲についての話しだった。
確かにとても面白かったが、ステレオタイプな人間ばかりが出てきて
こんなのドラマだけの話しで実際にはあり得ないよと思って見ていた。

のだが・・・・・

最近の政治家の言動や検察のあり方を見たり
佐藤優氏の著作などを読んだりすると
実際の世の中も、荒唐無稽と紙一重のフィクションと変わらないのかもと思ったりしてしまう。
何だか原発の事故も完全なる人災なのではないかと思いたくなってしまったりもする。

そうだ、鎌倉の大仏様も昔は大社殿に収まっていたのだ。
ところが15世紀頃の津波で社殿は流されてしまったのだった。
だったらあんな海辺にいくつもの原子力発電所を作った人は歴史を馬鹿にしていたとしか思えないではないか。
あるいは歴史の勉強をさぼってきた人たち?
でも、あの原発を推進した人たちは、実は立派な学歴の通商産業省のお役人達だったり、天下の大企業「東京電力」の幹部社員達だったりする。
政治家達も利権に群がっていたのかもしれない。

そんな権力者達が
「おまえは行動力がないから辞めろ」とか
「知恵のある皆様に復興についての話し合いをして欲しいが、原発のことは抜きにして」とか
自分の思惑ばかりを優先しているらしい。
これではドラマに出てきた老論派と言われる守旧的政治家や反対者を殺そうとまでする有能弁護士と同じではないか。

政治家が勝手な保身のことばかり考えている間に
行政はいつになってもやってこないと、民間の人たちがボランティアでどんどん行動している。

首相が無能だと思うのは勝手だが、辞めろという前になぜ「こうした方が良い」と言う具体的進言をしないのだろう。手柄を横取りされるのが悔しいからか?
ボランティアの人たちは誰のせいにもしないし、誰も批判せず、まず自分がやれることを探し実行している。
このスピリットは、政治家という立場になると雲散霧消してしまうものなのか?

首相も首相だ。皆を元気づけるつもりなのか、いつもニヤニヤして、寝食も惜しんで仕事してるからか、昼行灯みたいにフラフラ歩いて、あげくに復興構想会議の面々には「原発問題は外して」などとよく言えたものだ。
大連立とか考える前に、まず基本的な常識を持って欲しい。
大連立とか考える前に、党内をまとめて欲しい。
小沢派だって、自分たちの権力のことはひとまず棚上げにして、今はどうこのぼんくら総理に仕事させるかを考えるべきだろう。
海兵隊だの在日米軍だのを繰り出してくれているアメリカを初め、世界の各国からたくさんの援助をさしのべてくれているときに、何で権力闘争しなくちゃいけないの。
轟々と音を立てめらめらと燃えさかる火事場で、火の消し方をめぐって夫婦げんかしてるみたいなもんだ。

自民党も民主党もこんな馬鹿ばっかりだったのかとは思いたくない。

家も仕事も街も家族も失った市井の人たちが黙々と汗を流している時に、スーツ着たおっさん達が高給を保証されたままフカフカのソファに座って痴話げんかしてる場合か?
形なんかどうでも良いから協力しあえよ。
失策を見たら、怒ったり足引っ張ったりするのではなく、フォローして支えて、二度と繰り返さないようにさせろよ。
フィクションより下品なことするなよ。



地震、雷、火事、親父

地震も雷も火事も親父も
いったんおこると(起こると、怒ると)とても怖い。

だが、一定の時が経てば必ず収まる。
「こと」が収まれば、自戒を胸に、平常の生活を再開できる。

今、日本を覆っているどんよりした空気は、時が経っても「こと」が収まらないことへの怖れが原因だ。
「阪神淡路」も「9.11」も、尋常ならざる恐怖を引き起こしたが、「こと」は1日で終息した。
翌日から(いや、当日のうちにすら)すぐに回復に向けての活動を起こせた。

ところが今の日本では、復興、回復への活動を本格的には起こせないのだ。
なぜなら「こと」が収まっていないからだ。

逃げこれた人に避難の場所を提供したり、救援物資を送ったり、被害者を捜索したり、後かたづけを始めたりはできるかもしれないが、福島原子力発電所の周囲数十キロの地域には、特別の防護服を着ないと立ち入れない状態のままなのだ。
この状態がいつ終わるのかが分からないことへのいらだち。
これが日本を覆うどんより感のもとだと思う。

復興へのスタートラインに早くたどり着きたい。
本格的なスタートを早く切りたい。

原子力発電が与えてくれる恩恵は計り知れない。
それだから、一旦「こと」が起きた時の代償も計り知れないのだろう。
のど元過ぎれば熱さを忘れると言われるが、今度ばかりは誰も決してこの熱さを忘れることはなかろう。
そもそも、まだ、いつのど元を過ぎるかすら分かっていない程の「こと」なのだから。

今できることは節電。
目指すのは、原子力発電がなくても足りる電気料で暮らせる生活。
まずは電子書籍や電子辞書ではなく、紙の本、紙の辞書を使っていこう。

と言いつつ、パソコンに考えをまとめている。
だが、今日もこの後は、仕事に必要が出るまではシャットダウンをしよう。
そして、電力を使って作られる紙そのものも大切にしよう。






人知。人の力。

山川出版の日本史教科書(2009年版)をめくると、6ページに2万年前の日本の海岸線を示す地図が載っている。
樺太から種子島までが地続きであったとなっている。
津軽海峡については陸続きか切れていたかは論が分かれていると付記されているが、いずれにしろ今の海岸線とは大きく違っていたのは確かだろう。
本文を読むと、海岸線が変化した理由は気候が温暖になり海面が上昇したからとなっている。
だが、ウィキペディアの地震の歴史のページを見ると、記述の残るようになってからでもたくさんの地震が日本の周辺で起き続けていることが分かるから、海岸線や地形の変化にも少なからず地震も影響したと思う。
火山の爆発もあったかもしれない。
仮に気候変動だけが原因だとしても、1万年以上昔のことであれば、これも自然の力によると言えよう。
だから、歴史を真摯に受け止めれば、今回の地震と津波も想定すべきことだったと言えよう。

ある僧侶が今回の災禍に際し「無常」ということを語っておられたが、人の心だけのことではなく、物理的世界においても「無常」ということを考えていかなければならないのだろう。

加えて、今回もっと恐ろしいのは、原子力発電所の事故が重なったことだ。
地震と津波の被害だけでも未曾有と言われているのに、これにチェルノブイリやスリーマイルの事故が重なったのだ。
単に原発事故だけでも恐ろしいのだが、今回は原発事故の為に、地震・津波被害への本格的な復旧作業のスタートが切れないということが更なる危機だと思う。
地震と津波被害への対策ならば、少なくとも今より被害が増えることはないし、余震を除けばこれから悪化していくことはないから、復旧作業に専念できる。ゴールも、遙か先ではあろうが、決して想像できないわけではない。
だが、原発事故の対策にはゴール自体が見えない恐怖がある。
この恐怖が消えない限り、周辺地域だけではなく、東日本全体の復旧を開始できないと思う。

津波だけの被害なら、耕地は残っている。
整地し、また種をまけばいつか作物は実を結び、出荷も出来るようになろう。
これは何十年も先の話ではない。
すぐに復旧にあたるなら数年で達成できよう。

だが、原発事故の影響は、大地をじわじわと弱めていくのだ。復旧の可能性が時間の経過とともに低くなっていく。
幸いなことに、アメリカやフランスの首脳は、自国の原発推進政策を変更したくないこともあって、今回の福島原発の事故を何とか早急に収めようと全面的な支援を行ってくれている。
日本政府は変なプライドを捨て、今は世界の全叡智を使い尽くして欲しい。
人知の最たる原子力を克服するには人知を結集することが必須だ。

今は誰が良い悪いの話をしているときではない。
どうすれば放射線の拡散を抑え、地震・津波被害からの復旧を促進できるかを考えるときだ。





小さな喜び。大きな喜び。

家庭教師の依頼を受け、体験授業に向かう。
新しい駅に降り立つと、そこにどんな街が展開されているのかがとても楽しみだ。
美味しいラーメン屋さんがあったりするとそれだけでも嬉しい。
日常の中では小さいことかもしれないが、このワクワク感は私には貴重な喜びだ。

気が引き締まることもある。
駅前から依頼主のお住まいまでの間に、個別指導塾の看板を見ると、地元にこんな塾があるのにわざわざ遠方から私に声を掛けていただいたのかと、感謝の気持ちでいっぱいになる。
と同時に是非とも期待に応えたいと、気持ちが引き締まるのだ。

今年度も新たな出会いを頂いた。
この縁を大きな喜びに結びつけたい。
私の喜びはただ一つ。
子どもが成長することだ。
結果として合格にも結べ付けば最高だ。
勿論、合格を追い掛けることは大事なことだが、ただ合格させれば良いとは思わない。
私がいなくなっても成長し続ける人間になってもらいたい。
そのきっかけを与えることが私の最大の仕事だと思っている。

その街にしかない特別のお店をみつけることは小さな喜びだが、
その子にしかない特別の力を引き出すことは何物にも代え難い無上の喜びだ。





テーマ : 中学受験
ジャンル : 学校・教育

プロフィール

久保田塾・塾長

Author:久保田塾・塾長
東京都内、自宅にて個別指導、都内近県にて家庭教師をしています。
受験対策でも不登校児へのフォロー指導でも、私を頼る者全ての力になりたいと思っています。
でも、出来ない事は出来ないので、その時は、よりふさわしい先生をご紹介したり、次善の策がないかを模索したりします。
一番得意なのは中学受験の算数指導。「どんな問題でも解ける」という事より、「志望校に合格するにはどういう力を付ければ良いかを伝える」のが大事なのです。そのことを分かっていない保護者の方々、現役の塾講師、家庭教師の先生方があまりにも多い。
教育ネタが中心になると思いますが、趣味に走ったりもするかも。
前から興味のあったブログというのを始めて、ちょっとワクワクの「え~年のおっさん」です。
(2008年2月2日(先勝)・ブログ開始)

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