合格報告。

既に千葉や埼玉での中学入試は始まっている。
都内の受験生の多くがいわゆる「お試し受験」として1月受験もする。
今年の受験生も全員が既にどこかを受験した。
合格をすぐに電話やメールで知らせてくれる子もいれば、授業の時についでのように言う子もいる。
その子の性格や、受験校に対する思い入れの違いなどにより伝え方が変わってくるのだろう。

この知らせ、昔は聞くのが本当に嬉しかったし待ち遠しかった。
腹の底から喜びが湧いてきた。
だが今は淡々と聞けるようになった。
どの子に対しても、期待されたことには全て応えたと実感出来るようになったからだ。
昔は自分がどこまで指導出来たか不安だったから、合格の知らせが来るか来ないかハラハラしていたのだと思う。

大手塾では大々的に「○○中学合格!」の張り紙が出ていることだろう。
私も昔は合格者の名前を教室の壁に張り出したりしたこともあったが、今は止めた。
塾や家庭教師が受験生を合格させるのは当たり前だと思うようになったからだ。
特別の授業料を頂き、特別の教えを授けるのはひとえに合格の為だ。
料理人が空腹の客を満腹にさせたり、医者が患者を治すのにも似ている。
当然のことをやって当然の結果が出て、何でそれをわざわざ喧伝する必要があるのだろう。
誤解しないで欲しいのだが、いくら空腹でも料理に満足しないお客もいるだろうし、
必死の治療をしても回復しなかった患者もいるだろう。
同じように、私が教えてきた子どもの全員が第一志望校に合格してきたわけではない。
だが、受験生全員、合格して当然だと思っている。
だからどのような結果も受け入れられるようになった。
結果が思わしくなければ、それは鍛えた自分の鍛え方の未熟の故かもしれないが、
その他、色々なことが重なってそのような結果となってしまったのだと思う。
そして、そこで終わりではないのだとも分かってきた。
様々な体験や試練が子どもたちを様々に鍛えていくのである。
指導の根本には、どのような事態となっても次のステップに進める子を育てるということがあるべきだと思っている。
不本意な結果に泣きじゃくっていた子もいた。
飄々と次の受験の準備に取りかかる(ふりをして辛さに耐えていた?)子もいた。
だが、そのどの子たちも逞しく育っていった。
私がすべきは、嬉しい結果は全てご家庭に預け、不本意な結果に打ちひしがれている子とは、その思いを共有し、新たな決意に至れるまで待つことだ。

指導はまだ続いている。
努力をするのは生徒も先生も同じだ、遙か向こうに待つ「合格」の2文字を目指して。
だが、この毎日の行いの全てが実は既に合格報告となっているのだ。




テーマ : 中学受験 - ジャンル : 学校・教育

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