私の小学生時代の話。

私の小1から小4までの担任は関根軍三(せきねぐんぞう)先生だった。
小1の担任になった時点で相当なお年だったように思うが、
いつも笑顔の絶えない、心温まる先生だった。
注意された記憶はあるが、怒られた記憶はない。
何名かずつ順番に生徒を経堂の自宅まで呼んでくれ、草餅などご馳走してくれた。
今の小学校にはこうした交流は望めないだろう。
私的交流全般が禁止されているのかもしれない。

私は関根先生に、本を読むことの楽しさを教わった。
文字を書くことの快感を教わった。

小5小6の担任は渡辺三義(わたなべみつよし)先生だった。
国語が得意の先生で、自分の教え子が私立中学を受験することに一種の誇りを持っていた。
だから私は、特別な塾通いをせずに中学受験が出来た。
算数の時間には、私立を受験する子を念頭に、相当難しい問題を出したりもしてくれた。
私は食塩水の濃度の問題で、黒板いっぱいに式を書き、やっと正解に至った記憶がある。
(当時は面積図やチャートといった解法ツールはなかった。)

2月1日に受験し、2日は小学校に行った。
(当時はのどかで、第一志望だけの受験というのがまかり通っていた。)
すると先生は、休み時間だったか放課後だったか
先生の教卓の脇に一人私を呼び、昨日受けてきたばかりの入試問題を取り出し、
(もちろん国語だけ)
記述など重い問題につき、一問一問「これは何て書いた?」「ここはどう答えた?」と聞いてくれた。
びっくりした。
まさか、学校の先生からそんなチェックをされるとは。
でも、嬉しくもあった記憶もある。
そして、思い出せる限り、自分の答えを述べると
「ふ~ん、案外書けてるな、ひょっとしたら行けたかもな」
みたいなことを最後に仰った。
マグレだとは思うが、行けていた。

もう今から何十年も昔の話。
世田谷区立池之上小学校での話。

やはり私は、幸せな時代に生まれていたのだろうか。
あの小学校はどうしてなくなったのだろう。
あの小学校は今の小学校に比べて良くない所があったのだろうか。

テーマ : 小学校
ジャンル : 学校・教育

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

久保田塾・塾長

Author:久保田塾・塾長
東京都内、自宅にて個別指導、都内近県にて家庭教師をしています。
受験対策でも不登校児へのフォロー指導でも、私を頼る者全ての力になりたいと思っています。
でも、出来ない事は出来ないので、その時は、よりふさわしい先生をご紹介したり、次善の策がないかを模索したりします。
一番得意なのは中学受験の算数指導。「どんな問題でも解ける」という事より、「志望校に合格するにはどういう力を付ければ良いかを伝える」のが大事なのです。そのことを分かっていない保護者の方々、現役の塾講師、家庭教師の先生方があまりにも多い。
教育ネタが中心になると思いますが、趣味に走ったりもするかも。
前から興味のあったブログというのを始めて、ちょっとワクワクの「え~年のおっさん」です。
(2008年2月2日(先勝)・ブログ開始)

メニュー
リンク
ブログ内検索